風吹荒記・リバース

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Can't break. Can't fly,

もう、滅茶苦茶な文章になってます。

自分の全てです。


もう何ていうか、自分が小さく感じるんですよ。
自分は何かに満足して生きようとしている。そんな気がしてきた。
ゲーム作りは確かに困難かつ楽しい。これは真実であり為すべきことであり自分の夢である。

じゃあ、今、それ以外はどうだろう。

例えば交友関係。
リアルの交友関係なんて全然無いです。
一人だけ、オン・オフ両方の人物がいますが、友人と呼べるレベルの関係はその一人だけ。
高校以前の友人とはほとんど連絡を取っていません。
理由の一つは、怖いから。
いちいち、失言が怖いんですよね。友人のはずの相手にすらそういった物を警戒して、結局何の連絡も取れずじまいとなる。

ですが、ついさっき、とある会話の中で気付いたのです。
自分は、そういった関係にあまりにも執着心が無いって。

会えなくなったらまあ仕方ない、とか。
用事があるなら仕方ない、とか。
一人暮らしをするんだからまあ仕方ない、とか。


兄が、一人暮らしを始める日に泣いてたんです。
今でも覚えているのですが。
兄は、ほぼ毎日両親に電話をかけます。

自分は、泣きませんでした。
両親に電話をかけるのは、週1回程度です。
それすら忘れている事さえあります。


周囲の人は、多くの友人と会話をしています。
笑いあい、ふざけ合い、時には真面目に同じ机で勉学に取り組む。
行き帰りを共にしたり、一緒に食事をとったり、様々。

自分は、その中で一人黙々と考え事をするか、携帯をいじるか、話を作るか……
難しい問題も、一人でずっと悩み続けて答えを出す。
沈黙を続け、大学に入ってから8か月ほどたった今、友人と呼んでも怒られないであろう人は一人だけ。




周囲に誰もいません。
唯一、画面を越した先にいる人々。それでも併せて10人程度。
そして、いつ自分は執着を無くすのだろうか。
いつ、「仕方ない」と言うのだろうか。

好きだった相手もいるのに、そんな相手にすら連絡を取らない。
もう、誰と話すんだ?

そして、今この瞬間すら「仕方ない」と考えている自分を、自分ではどうする事も出来ない。







以下、かなり滅茶苦茶な文章。


まさしくコミュニケーション能力が不足しているように見えるわけで、自分自身何度もコミュニケーション能力は何とかしないといけない、と言っていた。
だが、何故コミュニケーション能力が低いままになっているか考えてみなくてはならない。
よく考える。考えたら何が残るか。
何故低いまま今に至るのか。
それは間違いなく、「必要としなかった」からに過ぎない。
だがそんなはずはない。中学校、高校、人と関わる機会はあまりに多い。
だったらコミュニケーション能力は、程度の差こそあれど少しは身に付くはずだ。
では、何故いまこのようになっているのか。

簡単に言えば、「必要としなかった」から。
そんなはずはないと書いても、そうだった。
何しろ、人に自分から話しかけない。
誰かが話しかけてくるまでただ椅子に座っている。
周りが騒がしくなる中、自分一人静かにしている。
これが、高校の話。

中学校の時はそうでもない。
とある人物とよく話をしていた。驚くことに一番会話をしていたのは同性ではなく異性である。
その人物と話をしている時間が楽しかった。
他にも様々な友人がいた。個性豊かだ。同性異性関係無く友人は多くいた。
少なくともその時は。

上記の通り、高校では一転し、人と話す機会はほとんどなかった。
最終的にはいた。が、連絡を取っていない。
それでは最早他人だ。
高校で掛けられる声は大抵蔑みか何かだ。
勉強を妨害されることも多かった。
そして、一人が一々自分に対して突っかかってくるのだ。
勉強している最中に筆箱を奪われたり、色々と。
非常に苦しい時間を過ごした。
今はその人物がどうなのか気になる所ではあるが、それは今は関係無い。
これ以上の問題が今はある。

高校ではいじめの対象になり続けていた。
そして大学では、それすら無くなった。
つまり、人との関わりはほぼ絶たれた。
唯一あるとすれば、サークルぐらいか。
しかし今の自分には、そのサークルすらも人と話が出来なくなりつつある。
本当に出来る時は出来る。だが、出来ない時は本当に出来ない。

そうやって過ごして大学、8か月だ。
一週間の内にまともに人と会わない日が複数日存在する。
平日、大学に行っても誰とも話さずに終わる日がある。
講義の中で会話を強制されることはある。しかし、心はそこにあらずだ。
土日なんて、人に会うことは無い。

そうした日々に自由を見た。
勉強さえしているならば、自由が得られる。
きちんとした、秩序ある自由だ。
それは自分にとってあまりにも幸せで。
他者の事を考えず、自分の好きなことが出来る。
家の中は、自分にとっての楽園だった。

つまり、人と関わらない時間帯は、自分にとって最高の時間帯だ。

そう、いつの間にか、人と関わる時間を憂鬱に思っていたのかもしれない。
自分一人の時間が好きで、自分一人で完結している。
誰かに合わせる事を要求されない。

ゲーム制作についてもそれは非常に色濃く出た。
サークルが簡単に言えばゲームを作っているサークルである。
その場で自分はこう言った。
「仕事はきちんとやります」

よく考えれば、これが今、まず最初に出てきた問題のように思える。
「仕事」である。そこでおかしい気がする。
それはおかしいに決まっている。
サークルと言えば同じ考えの人だったり、同じ趣味を持っていたり、そういう人の集まりだ。
そこで制作活動の事を自分は躊躇いなく「仕事」という。非常にドライに。

それ、自分は楽しんでいるのか? もしかしてとは思うが、
全く楽しくないのではないか?

まだサークルに見せていないもの。ただ、サークルのために書いている物だが、
少しここに置いておきたい。消し忘れるかもしれないけど。
これは作りかけの物。半分ぐらいの物。作りかけである事を除けば、普通の文章。出来はともかく。

The evangelize

で、これを書いているときの自分はどうだろうか。
正直、そんなに楽しくない。
書く事を楽しむより、作らなければいけない……という思いの方が強い。
それゆえに、無理矢理になる。
そして、楽しくない。
自分の書きたい物を書けている気がしない。
これは確かに自分が考え、自分が書いている物なのに。
楽しくない。

ここから考えられるのは、
自分は、人と関わった上で何かするのは嫌いだ。
出来ないわけじゃない。しかし、完全に仕事と割り切る。
社会に出た上では、大した問題ではない気がする。
何しろ、仕事はきちんとやるのだから。
だが、今、この瞬間、
これは明らかに辛い。


話を変えて、オンラインの話に移行させる。
小6の頃からサイトを開いている。
当所はまだ人と触れ合っていた。
とあるサイトでは常連で、そのサイトのチャットにも度々いた。
その頃マナーがなっていなかったのはもう……謝るしかない。
それはここでの問題とはしない。
問題は、そのサイトでとった最終的な行動だった。
それは「去る」事。

一見大したことは無い。
よくある事でしかない。
しかし、自分の行動について、ここから先の事を考えると、これが重大な問題だった。

身の上話。
自分の昔のハンドルネームは「カービイオブバースト
この文字列を打つのは実に6,7年ぶりぐらい。なんで見えにくくしたかって、恥ずかしい。
イが大きいところが特に。
さて、このHNで上記のサイトにいた。期間はよく覚えていない。2年近くいただろうか。
あのサイトは今でも存在する。あそこの管理人の方にtwitterで突如フォローされたのはびっくりした。
……とはいえそれについては別の機会にするとして。
そのサイトはその時代の自分を形作った。あるいは、今の自分の原型すら形作ったかもしれない。
不特定多数の人物と関わる事が、非常に楽しかった。
そうして、いつの間にか自分の生活の中心にすらなりかけていた。
それほどまでに、そこは魅力的な場所だった。
そこは楽園だった。

何故去ったのか。
その時を覚えている人はいるかいないか。
パッと見では中二病のような文面が残った。

そしてその行動をとった理由は自分でも分からず、そして自分はその場所からいなくなった。


一方、オフラインの行動。
中学校を卒業した自分は、上の方に書いた通り、人とほとんど関わらなかった。
実際は、高3の時は比較的話した気がする。


が、実は高2でとある問題が起きている。
いじめ問題より今考えれば大きな問題が。

それは修学旅行。
一見、楽しい大イベントだ。
しかし、自分は最悪の事態を引き起こした。

修学旅行に行くタイミングで、自分は仲のいい相手がいなかった。
仲のいい相手とグループを組んで行動するのだが、自分は声をかけられる相手がいなかった。
そうして自分は声をかけてくれた一団の中に入る事となる。
その後、仲良くなって行く……のが普通の展開だが、
今回考える上での第二の問題はここ。
修学旅行の中で大喧嘩が発生したのである。
一見、よくある事だが、これが悪影響を及ぼした。
自分はその時失言をした覚えは無かった。
ただ、普通の会話の中で普通に話をしようとしただけだった。

そうすると、相手が怒った。
そして、訳の分からないままになるも、愚かな事に最終的に自身も怒りをぶつける。
これは一大事である。何しろ、今いるグループにおいて、自分は完全にアウェーなのだから。

翌日には別件であるが教師にも怒られた。
いよいよもって自分は一人となった。

その日、修学旅行の最終日。場所はUSJ。修学旅行のラストを飾るにはうってつけだ、が。
自分は、一人でいた。グループのメンバーについて行くことはしなかった。
ただひたすら、他の誰かに見つからないように園内を歩いていた。
当然ながら、全く楽しくなかった。

それ以来、人と話をする事に警戒を抱き始めた。
自分がいつどのような失言をするかわからない。
だから、迂闊にしゃべらない方がいい。そう思った。
これが、第二の問題の行く末。

そしてもっとも問題だったのが、上に書いたとあるサイトにいた時代の顛末の原因。
人と関わる事が楽しくない。それに限る。
これは二つの問題と直結している。
人と一緒にいると自分がその時やりたくないものをやらなければいけないかもしれない。
人と一緒にいるといつ自分が失言をして相手を怒らせるか、そして自分が追い詰められるか分からない。
だから、人と一緒にいるのがだんだん億劫になっていった。
そして第三の問題点。最も性質の悪い物が、
「人との関係を無くすことを惜しまない」
これが今日気付いてしまった一番悪い事である。

いきなりとあるサイトから消えた事。
高校以前の友人と連絡を取らない。
オフライン・オンライン問わず。
また、上部に書いた「親への連絡」の件。
おそらく、全てこれである。

そしてその根底をなすのが、これも上の方に書いた
「仕方がない」
その一言だけで全部済ませた結果である。
会えなくなっても仕方ない、という原因も無く作られたスタンスが今の自分の最大の問題。


というのが全て。何が何だか分からない、書いてある内容も時系列が滅茶苦茶、
本当に根底にあるものが分からない。




人との付き合い方がドライすぎるという事。あまりにも人と関わらない事。
何が何だか分からないとしか言いようがない。



現在、twitterを通じる事で会話をしている人々がいる。
以前からサイトを見てくれていた人がいる。
新たに出会った人もいる。
会話は楽しい。
twitter中毒が心配だと言わざるを得ない。

だが非常に怖い。
今は楽しい。今は楽しいけれど。
いつ自分がまた、「仕方ない」と言い出すのか。
自分だけの世界に閉じこもるのか。
自分の心が何所にあるのかすら曖昧で、
何も予測できない。
そして、一人でいる事を強く肯定する自分もいる。
もしtwitterの関わりすら絶ったとしたら、
その後、最後に絶つ関わりは家族との関わりではないだろうか。

この執着心の薄さは、本当にそのようにしかねないから、
自分は怖い。もう、辛い。

結局のところ、
場所によっては、自分のやりたくない事までやっている。
好意を持つ相手でも、それならば自分の失言を恐れ、一つ一つの発言にすら慎重になりすぎる。
そして、執着はふと消えるもの。切っ掛けがあれば、消え失せるもの。

それが自分の持つ、最大の悩みです。
実際は、そこから派生して色々と弊害を引き起こしている。





折角なので、もう一つだけ。
「はみ出す事が嫌い」という問題があります。
これは、自身が本来いるはずのない場所にいる、という物を含みます。
この傾向はなんと、5歳に満たないころから存在します。
これは例えば、「職員室に用があるけど入れない」という事態が発生します。
一時間ほど前で立ってました。
治る気配はありません。
何故か、恐ろしいのです。
あまりにも恐ろしく、様々な場所が、怖くて、怖くて、怖くて――

だから、最後にいるのは、自分の部屋です。
それだから、上記の問題もより大きなものとして、自分をあるべき状況に持っていくために、
負の役割を果たし続けているのかもしれません。
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